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リスペクトするペンメーカーの歴史シリーズ

クロス(アメリカ)

アメリカの老舗にして世界最大の高級ボールペンメーカークロス社の歴史を綴ってみました。

クロスと言えば、世界でもトップクラスの売上げと歴史を誇る老舗の高級筆記具メーカーです。

モンブラン1906年、パーカー1891年、ウォーターマン1883年に比べ、クロスは創業1846年。ダントツの伝統ですね。(インクメーカーとしてのペリカンは1838年、鉛筆のファーバーは1761年)
それだけにクロスの社業についての記事なども、検索すれば多数ヒットするかと思ったのですが、意外と記事が無く、何処の紹介文でもほとんど同じクロスオブジャパンのサイトからの転載ばかりでした。

そこで本稿では、クロス日本のサイトに掲載されている紹介文に、米国サイトでの記事を加味して執筆していきます。

英語の超長文の資料も見つけたのですが、とても翻訳しきれません。極々端折りますが、それでも日本語で書かれた最も詳しいクロス紹介になるかもしれません。


クロスの創業は1846年。クロスジャパンのサイトの記述では、英国のバーミンガムでペンシルを製造していたリチャード・クロスの長男、アロンゾ・タウンゼント・クロスが、移民として渡った新大陸アメリカのロードアイランド州で事業を開始したとあります。

ちなみにクロス米国の記述では、創業者はリチャード・クロスであり、その高度な鉛筆職人としての技術を息子のアロンゾに伝えたとなっています。

1846年と言えば、米国ではメキシコ侵略を起こした年で、南北戦争の5年前、日本では弘化3年、ペリー来航の7年前です。(古る!)

米国サイトでは、創業地はロードアイランド州のプロヴィデンスで、スミソニアン博物館ができ、ミシンが発明された頃、とあります。

現在でもクロスの本社は、ロードアイランド州でプロヴィデンスのすぐ隣のリンカーンという美しい町にあります。

創業の頃のクロスでは、木製鉛筆のための、金銀の箔押しで飾られた装飾カバーを作っていました。(クロスジャパンのサイトではホルダーと書いてありますが、米国サイトではケースとなっています。)

クロス


鉛筆の外装カバーから始まったクロスの社業ですが、その後さまざまな筆記具の生産に乗り出します。

クロスジャパンの記述では、1870-80年代の間には、伸縮自在で当時「マジック」と呼ばれた『望遠鏡式ペンシル』や、現在のボールペンの先駆けとなる『スタイログラフィックペン』、現在のシャープペンシルの原型となる『繰り出し式ペンシル』も発明したとあります。

丸善のサイトで見つけた記述によると『スタイログラフィックペン』とは「軸先に針が少しのぞいていて、紙に軸先をつけると針が引っ込み周りからインキが流れ出るというもの」だったそうです。
万年筆とボールペンの中間のような感じですね。 。

クロス

『繰り出し式ペンシル』については、実際の発明はクロスの創業よりも前の時代にされていますので、発明ではありませんね。
米国クロスのサイトでも発明(invent)ではなくpropel-repel mechanical pencilの開発(develop)と書いてあります。

propel-repel pencilがどんな物かは、浅い調べでは分かりませんでした。直訳すると「推進-撃退」鉛筆なんですが。繰り出し式の一種だったのでしょうか。

クロス


創業から70年後の1916年、クロス一族は会社の経営権を、当時クロスの従業員であったウォルター・R・ボスへと売却しました。

その後のクロスは、ウォルターの息子のエラリーとラッセルへ、さらにラッセルの息子のブラッドフォード・R・ボスとラッセル・A・ボスの兄弟へと引き継がれていきます。

そして1999年にデービッド・ウェイレンが社長になるまでの83年間のボス家3世代の支配の間に、クロスはペンメーカーとしての絶頂と衰退を経験することになります。

まずボス家支配の前半では、1918年の”オルライト”シリーズ、1935年の”シグニット・ライン”シリーズを経て、1946年には創業100周年を記念して”センチュリー”シリーズを発表し、筆記具業界での不動の地位を築いていきます。

この”センチュリー”シリーズは、スラッとした細身の回転式で、現在でも売れ続けてるクロスの定番中の定番ですね。

最近でこそ色々なデザインのペンを発売しているクロスですが、昔はクロスと言えばあの形がすぐに思い浮かぶ超鉄板品でした。

クロス
写真はオルライトシリーズ


センチュリーシリーズで好調なクロスは、1949年には「機構上永久保証制度」を導入し、さらに成長を加速させます。

この制度は現在でも続いていますが、最近ではあまりこの制度を前面に押し出してはいないような感じはしますね。

1971年には株式の公開による増資をし、その後の十数年間では記録的な業績をたたき出しました。

第2次世界大戦後、ボールペンは急速に世界中で普及し始めましたが、ヨーロッパの伝統的なペンメーカーがまだ太身の万年筆を作っている間に、米国の企業であるクロスは細身の高級ボールペンで大成功を収めた訳ですね。

個人的にはアメリカ人のあのでっかい手には、センチュリーは細すぎて使いにくいんじゃないかと思うんですけどねぇ。

こうして好調な売上げで世界一のペンメーカーとなったクロスですが、しかし1990年代に入ると風向きが変わってきます。

クロス
写真はオルライトシリーズ


1993年に創業者の名前を取った”タウンゼント”を発表したものの、その頃からいくつかの要因が重なり、クロスの業績は下降していきました。

まずその背景には、他のペンメーカーも同じ条件ではありますが、パソコンの普及による筆記具需要の減少があります。

そしてその需要減少を見越して進出した、筆記具以外の分野のビジネスも、結局クロスの足を引っ張りました。

ボス兄弟は1983年に、旅行鞄やハンドバッグなどの革製品を扱うマーククロスという会社を買収し、それを皮切りにアクセサリー、時計など複数の会社を買収。筆記具以外の小物分野に進出しました。

さらにIBMと提携してパソコンと連動した入力装置を開発。クロスパッドの名前で発売しましたが、こちらは結局普及することなく、莫大な資金を使ったあげくに挫折しました。

こういった筆記具以外のビジネスに注力している間に、ヨーロッパの万年筆ブランドが復権してきて、細身のボールペンを主力とし万年筆を持たないクロスのシェアは、じりじりと下がってきました。

そして遂に1999年、デービッド・G・ウェイレンが社長兼最高経営責任者に就任。ラッセルとブラッドフォードのボス兄弟は会長に退くことで長いボス家による独占的支配が終了します。

クロス
写真はクロスパッド


1999年にデービッド・G・ウェイレンがCEOに就任すると、クロス社は大きく変革に舵を切り、立て直し作業に着手します。

行ったことは、どんな会社でもそうであるように、古い物は整理し、新しい物を出していくという基本戦略です。

当時アイルランドにあった工場を閉鎖し、筆記用具の製造と流通は、リンカーン、ロードアイランドにある本社に集約されました。

IT部門からは撤退、アクセサリー部門も整頓し、大規模なリストラを断行します。(アクセサリー部門は現在もあり、革製品、時計などが販売されています。)

販売面としては、ブランドマークを一新し、新しいクロスを印象づけ、アウトレット点などで多く売られていた状態から、百貨店への復帰を指向していきました。

ペンそのものについてはセンチュリーの定番すぎるデザインへの偏重を反省し、様々なデザイン・機能の新製品を開発し、発表していきました。

来週は、2000年以降にクロスが発売したさまざまなペンを紹介して、クロスについての最終回にします。

クロス


デービッド・G・ウェイレンがCEOに就任した1999年以降、クロスはさまざまな新製品を出し続け、2011年のカタログを見ると、実に22種類ものペンシリーズが出ています。

最初は発売日順に追っていこうかとも思っていましたが、発売数年で販売終了となったペンもあり、この稿では代表的な数点を紹介するのみにとどめたいと思います。

「センチュリー」1946の発売以来世界中で売れ続けている超定番。

クロス

「タウンゼント」創業者の名を冠した、センチュリーを太くした高級品。

クロス

「ATX」中太軸で、クリップまで続くなだらかな流線型のライン。

クロス

「アポジー」重厚感のある太軸を使った現クロスのフラッグシップ。

クロス

私がまだ若かった頃は(いつの話やねんて)、クロスと言えばあの細身のペン(センチュリー)の事でした。

現在は比較的安価なボールペンから、太軸の高級な万年筆、多機能ペンまで揃えたオールレンジな品揃えになっています。

実はキリタが使っているボールペンの芯もセンチュリーと同規格の芯ですが、当時相当に流通量があったので採用した物でした。

今はクロスだけでも数種類の芯が出ており、以前に比べるとあの細身のクロス芯のシェアも下がっているので、同規格の芯を使っているキリタのためにも、これからもクロスには頑張って貰いたいと思っています。

ボールペン替え芯