パーカーについて、その5
パーカーについて、その5>
1933年パーカーの息子であるラッセルが死亡し、その4年後には創業者のジョージパーカーも他界します。
会社はパーカーの次男であるケネスにたくされます。
創業者を失ったパーカー社ですが会社自体は繁栄を続け、大恐慌の落ち着いた1933年に、今までの2倍のインクを吸い込むインク吸入器を開発。
同年からアーティストのジョセフ・プラットがデザインしたアロークリップも取り付けられ、「デュオフォールド」は再び勢いを取り戻します。
1939年「パーカー51」を発売。大きくいかつい感じの「デュオフォールド」に対して、より洗練されたデザインの「51」は大ヒットを記録します。
![paker06](http://www.kirita-pen.jp/wp/wp-content/uploads/2016/01/paker06.jpg)
1954年パーカー初のボールペン「ジョッター」の発売。現在も製造中のとても息の長い製品で、累計7億5千万本の販売実績だそうです。
![paker07](http://www.kirita-pen.jp/wp/wp-content/uploads/2016/01/paker07.jpg)
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この記事は2012年7月初掲 名入れボールペンの【ペン工房キリタ】