シャープペンシルの歴史の4

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大正の末期から昭和の10年頃までは、日本の繰り出し式シャープペンシル製造業界は順調な発展を遂げ、東京を中心に全国で100以上の工場があったそうです。

しかしその後、昭和12年の日中事変の勃発を機に、海外各地での排日運動により輸出量が減少し、同時に国内では物資の統制もあり、生産量は著しく落ちていきました。

太平洋戦争中は『価格等統制令』などの規制や原材料の不足、さらに徴兵による労働力不足によって生産はストップし、東京大空襲などでは多くの工場も焼失してしまいます。

日本の製造業は戦後の焼け野原の上から再出発することになります。

戦後しばらくは、シャープペンの国内需要は戻ってきませんでしたが、焼け残った工場で生産を再開したシャープ生産者は、海外への輸出を伸ばすことにより徐々に復興をしていきました。

そしてその後、シャープペン業界にとって一大転換が2つの技術革新によって起こります。

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この記事は2009年6月初掲 【ボールペン工房キリタの工房便り】