ファーバーカステルについての2

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ファーバーカステル社の歴史は、1761年に家具職人であったカスパー・ファーバーが、ドイツ南部のニュールンベルグ郊外で鉛筆の製造を始めた事が第一歩になります。

伯爵家が運営していることで有名なファーバーカステルですが、創業者は庶民の出だったんですね。

やはり伯爵自身が「よし鉛筆を作ろう」とは思わないでしょうね。その頃にはまだカステルの名前も付いていない、ただのファーバー社でした。

faberpencil

鉛筆自体は、ファーバーの発明ではなく、当時はステッドラーを始め既に多くの鉛筆製造業者がニュールンベルグでギルドを作っていました。

そして多くの鉛筆業者の中の1社として代を重ねていったファーバー社ですが、第4代の当主であるローター・ファーバーの時代に大きく飛躍していきます。

1839年にローターは、製造する全製品に”A.W.FABER”の刻印を入れることにしました。(ファーバーカステル社の言う所ではこれが「世界で初めてのブランド商品の誕生」とのことです。)

このことによりファーバー社の名前は飛躍的に知名度が上がり、1845年には、ファーバーカステル城の元になる大邸宅も完成しました。

さらにニューヨーク、ロンドン、パリや、オーストリアのウイーン、ロシアのサンクトペテルブルグなどに販売店を設置するにおよんで、その名は世界的に広がっていきました。

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この記事は2010年12月初掲 名入れボールペンの【ペン工房キリタ】