サインペンの歴史、その4

サインペンの歴史、その4>

日本でのフェルトペンの元祖は、1953年に寺西化学工業から発売されたマジックインキです。

寺西化学がマジックを開発したきっかけは、太平洋戦争の終結から6年後の1951年に行われた「アメリカ産業視察団」に遡ります。

その視察団の中に当時内田洋行の社長であった内田憲民氏がいました。

約3ヶ月にわたる視察の間に内田社長は色々な商品を購入しましたが、その中に、先週紹介したスピードライ社のフェルトを使ったブラッシュペンがありました。

帰国後に開かれた見本市会場でこれを見つけた寺西化学工業の寺西長一社長は、さっそく内田氏にこの新しいペンの研究開発をしたい旨を申し出て、ここに国産のフェルトペンの開発が始まりました。

しかし内田氏の持ち帰ったスピードライはバラバラに壊れていて、寺西社長はその残骸から構造を想像し、とても苦労をしてマジックインキを開発したそうです。

当時はまだ戦後の混乱期で物資も不足している中、インクや容器なども一から開発し、特にペン先のフェルトについてはさんざん研究した末に行き着いたのが前々回紹介した高級紳士帽子の製造会社であった帝国製帽株式会社でした。

帝国製帽からのフェルトの供給でマジックは完成。日本初のフェルトペンには帽子屋さんの技術が活かされているんですね。

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